江戸時代、朝鮮通信使の来日に際し、下蒲刈島が藩の接待所・玄関口として大歓迎をした記録が多く残されています。なかでも「安芸蒲刈御馳走一番」といわれたほどの歓待ぶりで、往時の記録をもとに全国から集めた食材を使っての豪華な膳を忠実に復元した展示は圧巻です。
この資料館は明治中頃に建てられた富山県砺波地方の代表的な商家造りである「有川邸」を移築したもので、石置き屋根に豪壮な井桁組みを持つ重厚な建物です。
このほか本陣とその付近を復元し、通信使の行列人形を配したジオラマ模型や、当時の通信使を再現した等身大の人形、さらに精密に再現された 1/ 10の朝鮮通信使船の模型や全国から集めた朝鮮通信使に関連した「土人形」「張子人形」、通信使行列図や船団図など、往時をしのぶ資料を多数展示し、興味深く見学することができます。
朝鮮通信使の派遣が決まると、釜山から外洋船である朝鮮通信使船6隻で瀬戸内海を通り、大阪まで航行します。江戸時代には、船の旅というものは大変危険を伴うもので、天気が良く、風向きのいい日を選んで出航していました。その後、淀川を京都まで上るために、西国大名が参勤交代の時に使用する、絢爛豪華な川御座船で進み京都の淀に向いました。そして淀から陸路を江戸まで行列を組んで歩いて進みました。広島県呉市下蒲刈島も潮待ちの港として、また広島藩の接待場所として指定され、全部で12回の来日中11回立ち寄った歴史があります。
本展では朝鮮通信使の旅の半分を占めた船の旅に焦点を当て、さまざまな記録より江戸時代の船の旅をご紹介します。
「朝鮮人来朝覚備前御馳走船行烈図」 延享5年(1748)・紙本著色/巻子装
ユネスコ「世界の記憶」登録資料
「朝鮮通信使大坂河口之図屏風」 紙本著色/六曲一隻
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蒲刈本陣と通信使行列の模型 | 三汁十五菜 | 朝鮮通信使船模型 |
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