蘭島閣美術館らんとうかくびじゅつかん

  蘭島閣美術館は、荘厳な佇まいの本格的木造建築の美術館です。日本の近代絵画を代表する作品や、郷土ゆかりの作家の作品などを展示しています。日本画、油彩画、版画、素描などを含めた約2,200点のコレクションの中から会期ごとに企画展示しています。

展示案内

特別展 生誕130年 没後60年を越えて
「須田国太郎の芸術-三つのまなざし-」


 2024年5月1日(水)~6月24日(月)

  チラシ(おもてうら

第2会場

 洋画家の須田国太郎(1891~1961)は「東西の絵画の綜合」という壮大なテーマを掲げ、日本の精神文化に根差した日本独自の油彩画のありかたを追求し、近代絵画史に偉大な足跡を遺しました。
 京都に生まれ、幼少時代から絵画に親しんだ須田は「東洋と西洋では、なぜ絵画が異なる方向で発展を遂げたのか?」という疑問を解明するために、京都帝国大学及び同大学院で美学・美術史を学びました。 大学院に在籍中には「絵画の理論と技巧」を研究テーマとし、同時に関西美術院において、デッサンを学んでいます。
 1919年に28歳で渡欧し、スペインのマドリッドを拠点にヨーロッパ各地を訪れ、ヴェネツィア派の色彩理論やバロック絵画の明暗法など西洋絵画の底流をなすリアリズムの表現に関心を持ち、探求しました。1923年に帰国して、日本独自の油彩画を生み出そうと制作に励み、1932年41歳の時に初個展を開催しました。これを契機として、ヨーロッパ留学中に交流のあった里見勝蔵や川口軌外の誘いにより、1934年に独立美術協会会員となりました。これ以後須田は、同協会展を中心の舞台とし、意欲作を発表していきます。骨太で生命感溢れる作品群には、会得した理論に裏付けられた風格さえ宿しています。
 今まであまり語られなかった須田国太郎の新たな側面をご覧いただき、さらなる魅力を知っていただけますと幸いです。







須田国太郎 マドリードにて(須田家提供)




《遺跡(サグント劇場跡)》 1922-23年頃 油彩・画布
三之瀬御本陣芸術文化館蔵



《サグントローマ劇場跡》(スペイン・サグント) 1922年 写真
三之瀬御本陣芸術文化館蔵

《老松》 1951年 紙本墨画・二曲一双 京都市美術館蔵


第2会場:蘭島閣美術館での展示

「旅でのまなざし」

 須田は、スペインを拠点に1919年からの約4年間、ヨーロッパに滞在しています。その時に撮影した写真や関連する油彩画を紹介します。なお、スペインのサグントを描いたと思われる《遺跡(サグント劇場跡)》は、平面回復の修繕を終え本巡回展で初公開されています。
 さらに、本章では須田が国内各地を旅した風景画をはじめ、旅行中に使用したカメラ(初公開)、イーゼルなどの画材、留学時に使用したトランクなど、幅広く紹介しています。

             《須田国太郎のカメラ》
     《No.3オートグラフィック  《レヒテック・プリマー》
     ・コダックスペシャル》    1920年頃 個人蔵
      1915年頃 個人蔵》



《グレコ・イベリヤの首》 1931年 油彩・画布 京都国立近代美術館蔵


《グレコ・イベリヤの首》 1922年 写真 個人蔵

《滞欧写真》

《シシィ博物館からミヒャエル広場を望む》
(オーストリア・ウィーン)1921年
三之瀬御本陣芸術文化館蔵

    《ベネチアの街並み》     
    (イタリア・ベネチア)1921年     
    三之瀬御本陣芸術文化館蔵     

   《Operahouse(Semperoper)》   
   (ドイツ・ドレスデン)1922年   
   三之瀬御本陣芸術文化館蔵   




《八幡平》 1954年 油彩・画布 京都市美術館蔵


《岬(室戸)》 1949年 油彩・画布 個人蔵


「幽玄へのまなざし」

 幼少時から能・狂言に親しみ、1910年頃から謡曲を習い始めた須田。油彩画と並んで謡曲は生涯にわたって追求すべき課題となりました。彼が残した多くの能・狂言のデッサン(クロッキー)をはじめ、能の世界を描出した作品を紹介します。


野村徳七氏追善謡 1953年11月 右が須田。(展覧会図録より転載)



《野宮》 1945年頃 油彩・画布 個人蔵

《仕舞(安宅・金剛永謹)》 1956年6月17日
紙本墨画着色 個人蔵

    《山姥》 1948年 グワッシュ・紙    
    京都国立近代美術館蔵    

《大原御幸》 1942年
油彩・画布 個人蔵



美術作品の掲載には著作権保持者の承諾が必要です。掲載されている作品を無断で使用することはできません。